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極私的プロレス観戦論

ケニー 退団

あっちには行かなかったけどそっちに行くことになりそうなケニー。

 

ベストバウトマシーン。

 

オカダとの試合が年間最高試合賞を取った。

 

 外道という口寄せを借りて自分の言葉を持たないオカダ。

外国人ゆえに日本語の力を得ることができないケニー。

自らを機械になぞらえ言葉からは遠ざかることで抵抗してみせる。

言霊の国で言霊の力を使わずに試合をしていた2人。

言葉を持たないがゆえにその身体能力に頼る試合になったのは当然だろう。

フルタイムドロー。三本勝負。

2人のストーリーよりもルールと試合形式に注目が集まったのはそれだけ2人が発する言葉が希薄だったからだ。

オカダとケニーは言葉によるストーリーを生み出すことができなかった。

三沢小橋以来の同一カード2年連続受賞。

三沢小橋、オカダケニー。どちらもストーリーと言葉とは無縁な世界だ。

 

さらにケニーは言霊信仰の国で言葉を必要としない試合を組む。

両国のスリーウェイは言霊を必要としない実験的なタイトル戦だった。

唐突に組まれたカード。

日本語を母国語としない2人のレスラーと言葉を必要としない盟友飯伏。

仲間、友達だがそんな言葉に縛られないカード。

リング上だけを見てくれというメッセージ。

結果は棚橋にプロレスはそれだけではないと完全否定された。

ケニーは棚橋の放つ言葉にたどたどしい日本語で反論する。

言葉の強さではここ日本では棚橋には勝てない。

 

これだけオカダとケニーしかできない試合をしてもその人気が棚橋や内藤を凌駕することはなかった。

逆にオカダはベルトという言葉の代わりを失い自分の表現手段を失う。

オカダは周知のように風船🎈をベルトの代わりにして表現するが

会場の中を漂うばかりだった。

みかねた外道が口寄せの職を自分から解きオカダに言葉を与える。

自分の言葉を持ちようやく言霊の力を身につけたオカダがドームで凱旋帰国以来初めての大オカダコールをもらったのは記憶に新しい。

プロレス大賞の席でも今までとは違う自分の言葉でスピーチするオカダの姿があった。ファンはレインメーカーではない岡田の肉声=言霊をずっと待っていることに

ようやく気付いてくれたようだ。

 

これだけ肉体を削りベストバウトを生み出しているのに

口だけの内藤やアスリートとして自分より劣る棚橋の方に声援が送られる。

ケニーが自分が外国人だから声援が少ないという理由に行き着いたのはそう時間がかからなかったはずだ。

それをこの2年で思い知らされてしまった。

常につきまとうガイコクジン初という言葉。

いくら新日本のケニーとして粉骨砕身してもそのスタンスは日本人の敵役から出ることはない。

これはプロレスに限ったことではない。

他のスポーツでも同様だ。

ガイジン ガイコクジンという呪をかけられている以上この国ではよそ者なのだ。

ケニーは日本語を話しその呪を解こうとした初めての外国人レスラーだったのだ。

ただし話せるだけではその呪縛は逃れることは無理だ。

日本語が上手なメイ社長もガイコクジン社長という呪に苦しんでいる。

言霊の霊力でがんじがらめの大相撲の歴史を見れば明白だ。

日本語を流暢に話せる上に名前を変え帰化しない限り言霊の国の一員にはなれない。

 

 ケニーは常に世界と日本を対比してみせることで日本の矮小さを指摘した。

プロレス大賞でも世界という言葉を使っていた。

世界という言葉を多用し日本語で構築された日本マットを世界仕様に変えようとした。

しかし外道がジェイを指名し自らがジェイの依り代になり日本語を発信したことで

ケニーのプロレスは否定された。

そして外道の刺客棚橋にベルトが奪われた。

ここに外国人エースの団体誕生は夢と散る。

新日本があくまでも日本の団体として海外に打って出ることを内外に宣言したのが

棚橋ケニー戦の結果だ。

 

ケニーが棚橋の敵役で飯伏のパートナーの枠で収まっていたら

第2のハンセンになることはできただろう。

ガイコクジンレスラーの日本マット上でのポジションはハンセンが限界だ。

それが嫌なら古くはデストロイヤー、ブッチャー、ボブサップのようにイロモノになるしかこの国ではそのポジションを上げる術はない。

 

となるとケニーがさらなる高みを目指すなら退団して英語圏の世界のリングを選択するのは当然だろう。