イッテンヨン 棚橋は最愛の家族を守れるか
棚橋 ケニー
内藤 ジェリコ
オカダ ジェイ
最後3試合が見事に日本人対外国人の図になった。
この構図はイッテンヨンでは史上初。
ここで気になったこの一年の棚橋の言葉を思い出してみる。
家族 守る 長男 3という数字 闘魂三銃士
家族を新日に置き換えると
新日本プロレス 守る 棚橋
さらに上記のカードを縦に見ると
棚橋
内藤
オカダ
言い換えると
長男
次男
三男
になる。見事に兄弟として並ぶ。
今回のイッテンヨンのテーマは表向きはファイトスタイルのイデオロギー闘争になっているが棚橋の本当のテーマは家族を守るための戦いではないだろうか。
このままケニーや飯伏のようなプロレスになればいずれ死人が出る。
それは三沢が身をもって実証した。
団体=家族を背負う棚橋は身内からケガ人が出ることは許せない。
かつての新闘魂三銃士だった盟友柴田のリタイアは棚橋を動かす大きな要因となったはずだ。
加えて本間、ヒロムの長期欠場。
ちょっと待ってくれ。レスラーは超人なんかじゃない。
ケガもする生身の人間なんだよ。
棚橋の心には非常ベルが鳴り響いたのだろう。
オカダケニー戦を批判。
品がない。自己満足。相手への優しさがないという棚橋特有の言い換えだ。
内藤はこっち側だと思っていたがケニー寄り。
先鋭化するスピードを緩めない3人に身をもって教えるしかないのか。
長男の責任として。
どこまでも削りあうプロレスをスタンダードなプロレスにしてはいけないと。
満身創痍、落日の太陽と言われ内藤オカダにメインを譲ろうとしたがあえて批判を覚悟で時計の針を戻したのはこういう理由なのではないか。
どうしても勝たなくてはいけない理由が
棚橋にはあったのだ
棚橋は復活したわけではない。
新日という家族の未来のために最前線へ戻ってきたのだ。
G1 優勝 オカダに勝ち オカダとタッグ。
この流れでオカダと棚橋は敵同士のイメージが消えた。
本隊とケイオスのシャッフルも新日が1つのイメージを作った。
内藤は棚橋の弟分を広言していて新日愛を叫んでいるから問題ない。
ファンのイメージは棚橋寄りだ。
詳しくは広く。氏の新日学園参照。
ダメ押しに家族愛がテーマの映画にも出演。家族がキーだからわざわざこの映画を選んだのだろう。世間の棚橋のイメージは仮面ライダーの悪役から家族思いの優しいパパに変わった。
つまり
メイン セミ オカダジェイ このカードを並べた意味は 闘魂三銃士ならぬ
闘魂三兄弟を狙ったものではないだろうか。
三銃士は同期だから年が離れているなら三兄弟だ。
3という数字にこだわっているのも棚橋だ。
兄弟の一致団結。
プロレス版 熊と踊れ。
そう考えるとなぜ飯伏オスプレイが第一試合かの謎が解ける。
このカードなら普通はオカダジェイの前に組むはずだ。
ところがここに置くと三兄弟が薄くなる。
なぜか。飯伏はケニーの恋人でオスプレイはオカダの弟だからだ。
三兄弟が強力な敵から家族を守るために戦うとういテーマがボヤけてしまう。だから遠く離れた第一試合に組んだのだ。
あえてオカダを観客動員度外視してセミの前に並べた意味もわかる。
この並びは今回でしか実現できないプレミアム級のカード順だ。
乾坤一擲の棚橋の仕掛け。
それが棚橋内藤オカダの揃い踏み。
内藤の立場上3人のトリオは実現不可能。ならば3人のカードをメインから並べ新日の結束力を知らしめる。その布石が外道のバレットクラブ出向と考えるのは流石にうがち過ぎか?
しかし棚橋ならやりかねない。
今のプロレス界において彼のプロレス脳に勝てる人物はいない。
稀代の仕掛け人のツートップ猪木長州を見てきた棚橋ならやるだろう。
ましてやあの冬木の薫陶を受けてきた邪道外道ジェリコがその意図を汲み取るなんて容易いだろう。
闘魂三兄弟の
最初にして最後の揃い踏み。
凱旋帰国した橋本 蝶野 武藤が闘魂三銃士として真夏の夜の屋外でナイターの光で幻想的な有明コロシアムのリングに立った時ファンは新日の素晴らしい未来をどれだけ夢想しただろう。そしてその通り三銃士は僕らに素晴らしい時間を与えてくれた。
棚橋 内藤 オカダが3人勝利してあの時と同じように新日の輝く未来を約束することができるだろうか。
3人は絶対に勝たねばならない。
負けは許されない。
棚橋の仕掛けの最後のピースは
棚橋のベルト奪取。
勝って棚橋は愛を叫ぶことができるか。愛するプロレスのため、愛するファンのため、そして愛してやまない新日プロのために。
棚橋の家族を守る最後の戦いがもうすぐ始まる。