marico world order

極私的プロレス観戦論

新日本のわかりやすさ

新日本プロレスの革命的なこと。

それは従来のプロレス興行と違い前座とピークを過ぎたベテランレスラーの退屈なプロレスをなくしたことだ。

前座からセミまで観客のフラストレーションをためにためてメインで爆発させる

手法を廃止したことだ。

 

まだ真壁が新人の頃の昼間の後楽園ホールでの興行では観客の半分がメインまで寝ていた。グラウンドのレスリングは見ている方は眠くなるだけだ。

手探りからバックの取り合いそしてグラウンドの流れを排除したことも大きな変化だ。

昔むかしの新日はメイン一本で観客動員していたから、メイン以外の試合は、よほどのマニアでなければその試合に意味を見出せない退屈なカードが続いたものだった。

 

またメインより目立つことはできないという不文律があるからなおさら技も試合運びも限定されてダラダラと試合時間だけが過ぎ観客はリング上よりも睡魔との闘いがメインだった。

 

余談ではあるが少し前の天龍引退試合は、まさにそうで館内の空気は澱み弛緩しきって観客のフラストレーションはたまりにたまった。ガス抜きで藤田諏訪魔戦が組まれていたがプロとは思えぬ展開でメインを前にして最悪な雰囲気になった。その空気を一変させて立っているのがやっと、座っているだけの天龍にプロレスを成立させてなんとかこの日のチケット代の価値に見合うものを一人で提供してくれたのがオカダだった。あの日のオカダはひとりで興行を背負った真のメインイベンターだった。

 

今の新日マットは最初から最後までスピードと立体感ある攻防がこれでもかと展開される。

最初から最後まで爆発しっぱなし。

ビッグマッチにおいて 

(ここで何かと批判の対象になるベルトの多さが一転して強みになる。)

捨てカードなし。

手抜きカードなし。

テーマのないカードなし。

寝てるヒマなし。

トイレタイムカードさえも消滅した。

(寒いドームの観戦でビールとコーヒーは厳禁だ。トイレに行くタイミングが難しい。休憩時間もないのだから。特に席が真ん中で出入りするのはなかなかの至難の業である。)

 

確かにところどころ子どもだましのレベルはあるが、ターゲットがマニアではなくファミリーや女性、一見さんならその単純さはかえってプラスになっている。

わかりやすさと幼稚さ。

レスラーのキャラクターのデフォルメ、記号化。

コケシの自爆と人気はその典型であろう。

 

そのぶん内藤と我々二階席のファンにはツッコミどころ満載でネタには事欠かない。

 

いつも同じメンバーでいつ行ってもハズレがない。

常に一定の水準以上の試合を提供する。 

ファンタジーと割り切って楽しむ。

様々なキャラクターとグッズ。

撮影会、サイン会などのイベントを通したファンとの親和性。

 

新日が再び東京ドームを六万人の観衆で埋めるその日もそう遠くはないかもしれない。