内藤 《必ず》という言葉の重み
「俺は必ず、またこの舞台に戻ってくる」
2017年 イッテンヨン オカダ戦を終えて
必ず
という言葉は内藤は使わないという。
その言葉を使った理由をインタビューの中で明かしている。
内藤が自分の言葉に対して神経を使っている様子がみてとれる。
いつ誰に向かって(発信力)どんな言葉をチョイスするかをわかっているレスラーこそが言霊の力を味方につけることができる。
会社批判もいい。他のレスラー批判もいい。
2年前の帰国時の這い上がる立場なら効果的だった。
会社に守られたオカダを批判したから両国が爆発した。
しかし今では内藤がトップで会社に守られていることと
内藤は決して会社をやめないことがわかった。
かつて批判したオカダが今の内藤だ。
それがわかってしまった今
内藤の立場からタイチへの批判はパワハラまがいだ。
みのる批判は窓際に追いやられたかつての上司へのイジメと映る。
会社に守られたLI Jとフリーの鈴木軍との絡みにファンが辟易しているのはそのためだ。
会社批判は一社員のワガママにしか聞こえない。
それが昨年内藤に感じていた違和感だった。
内藤はジェリコに助けられた。
ジェリコは内藤よりも「偉い人」だから何を言っても許される。
ネームバリュー、キャリア、年齢、どれをとっても上。
会社は特別扱い。
ジェリコの前ではいたずら小僧のような茶目っ気のある内藤を見ることができた。
内藤のいちばんの魅力はあのペイントした自撮りに凝縮されている。
ファンは何をしでかすかわからない無邪気な子供のような内藤が好きなのだ。
大人の物分かりがいい内藤は求めていない。
いつまでもプロレスファンであり野球少年の内藤を支持している。
昨年のドーム後目的を失った内藤はあのままなら飯伏の予言どおり失速していた。
ファンに陰湿、ネガティヴというレッテルを貼られるところだった。
パワハラとイジメをリング上で見せ続けられたら反感をかっていたはずだ。
落ちこぼれからトップに駆け上がりいざトップに立ってはみたものの方法論は変わっていないのが昨年の内藤だった。
毒を武器にのし上がった内藤はいつしか自家中毒を起こしていた。
そんなトップというポジションを持て余していた内藤にからんできたジェリコの嗅覚はなかなかのものだ。
そのくだりは斉藤文彦氏のインタビューで詳しく語られている。
なぜか一人称が僕になりジェリコの好感度が上がっている。
ジェリコがいたから内藤はイメージダウンしないですんだ。
権威に噛み付くキャラも温存できた。
昔のように動けなくてもプロレスができるお手本だろう。
そしてジェリコ戦を通して内藤が新たに提示したのが二冠統一だ。
内藤の嗅覚もジェリコに触発されて本来の力を取り戻したようだ。
ファンとしてみればやっとこれを言ってくれたかという思いだ。
ヘビーとインターコンチ。上下関係は明らかだ。
存在価値ゼロのインタコンチが存在価値100のヘビーという権威に噛み付く。
これなら内藤の今までのキャラを崩すことはない。
挑戦者 改革者 今までのままでいい。
愚痴は意見となりネガティヴ発言は批判と形を変える。
ベルトに噛み付くからファンも対立構造が明確で気持ちを乗せやすい。
ベルトの扱い方をジェリコから学んだ成果が出たようだ。
そしてベルト保持者が新日本の権威の象徴 棚橋だ。
遠慮なく批判できる。
ベルトを持ってヘビーに挑戦する前例にも言及している。
ここは抜かりがない。
しっかり理論武装している。
これで不要と言っていたインターコンチを防衛する理由もできた。
内藤のスタンスがはっきりした。
「必ず」という言葉が力を持って動き出した。
舞台は早くても来年のドーム2連戦だろう。
内藤はここから一年、この話題で引っ張ることができる。
会社がヘビーに挑戦させなければその舌鋒をいかんなく発揮できる。
ファンもどうやってヘビーのベルトを追い込んでいくのか楽しめる。
思いは口に出さないと伝わらない。
プロレス界随一の言霊師内藤がどんな言葉を次に生み出すのか。
二冠統一戦へ向けてトランキーロではいられない。