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極私的プロレス観戦論

続 続 長州革命

長州革命の本当の意味での革命は

前田を新日マットから追放したことだった。

プロレス道にもとった前田は、政治的に新日から追放された。

猪木や長州の言うプロレス道とは何かと定義されることはなかった。

後ろから顔面にキックをいれたことがもとっていた原因とされた。

それを言えばプロレスラー全員がもとっているし、猪木自身が最もプロレス道からかけ離れていた。そんなことはレスラーもファンも当の長州だってわかっていたが、それよりも前田を煙たがり解雇した。

この出来事は日本プロレス史にとって大きな分岐点となった。

前田は新生UWFを旗揚げしそこから総合へと枝分かれしていく。

猪木新日本と長州は前田から逃げた団体という十字架を背負ってしまった。

馬場と猪木の関係が長州前田にそっくり引き継がれた。

 

さらに前田の流れを汲むU系が強さを前面に押し出していった。

後に残された闘魂三銃士、健介らは強さをスポイルされたレスラーとして

張子の虎のベルトをめぐる闘いをしたがファンは冷ややかだった。

長州が前田と一騎討ちまたは橋本たちが名乗り出て前田に勝てばその後の歴史も変わったはずだ。

しかし橋本、武藤蝶野は若すぎた。

前田は格闘王として猪木以上のカリスマへ駆け上った。

最強のプロレスは前田率いるUWFの代名詞になった。

猪木が異種格闘技戦を通して手に入れた新日本最強の称号は絵に描いた餅となった。

新日本が最強の看板をおろしWWE化していったためにプロレスの差別化も出来なくなった。過激なプロレスも馬場のプロレスも同じとなる。

大仁田や北尾を上げてしまったから輪島を上げた全日本と同レベルになった。

猪木プロレスこそプロレスであるという枠組みがなくなってプロレスの定義は液状化しいく。おかげで着ぐるみパンダも芸人も私服の会社員も人形もリングに立てばプロレスになった。

最強は前田から総合へ移行した。その間も新日本は猪木の前田以外の刺客の前に永田小原石沢橋本安田らが倒れプロレスラーはプロレスでしか強くないことを証明させられた。

猪木が執拗に闘いをテーマに仕掛けていったのは前田を意識していたのだと思う。

前田を避け続けることでますます前田の強さが煽られ新日本の弱さが浮き彫りになった。

長州が前田を正面から受けてシングル戦を展開していれば新日本の猪木イズムは今も受け継がれたに違いない。

さらにその後長州は猪木を追い続けた強さの象徴橋本さえも追放してしまう。

長州は前田から逃げて橋本を厄介払いしたレスラーと見られた。

長州が正面からぶつかったのは藤波と天龍だけだ。

鶴田にはあしらわれ、ブローディには子供扱いされた。

長州は本当に強かったのだろうか。

唯一のチャンスはヒクソン戦だったが実現しなかった。

プロレスをそんな強い弱いで測ることも今では不毛な議論になった。

解雇するかしないか。契約するかしないか。

リング上よりも政治力が大切なのだ。

 

今、プロレスがはっきりとエンターテイメントで強さとは遠いところにあり、

強さの象徴は総合と住み分けができてしまったのはやはりプロレス道にもとった前田解雇にある。

その後の日本プロレスの歴史を大きく変えた意味でも長州革命の最大の功績は良くも悪くも前田解雇と言える。