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極私的プロレス観戦論

受けの美学 あれこれ

昨日のプロフェッショナルで受けの美学なる言葉がテロップで画面に出た。内藤とオカダがそれについて話していた。

内藤、オカダとも悪びれることなく相手の技を受けることを肯定していたのが印象的だった。
なぜ相手の技をよけないのか。
なぜロープに走り自ら相手へと突っ込んでいくのか。
これを世間では八百長の証左として
プロレスを馬鹿にしてきた。
プロレスファンはそのたびにうつむき反論できずにいた。
その一番の矛盾のシーンがジャイアント馬場の16文キックだった。
ただ足を出しているところへ相手が
顔をぶつけにいく。
これを言われたらどんな反論もできなかった。
しかし一方であり得ないような相手の技を受けていたレスラーがいた。
そんな技を食ったら死んじゃうよと思わせるレスラー。それが猪木だった。シンのゴブラクローで喉から血を流し、大木のヘッドバットを自ら額を突き出し受ける。ハンセンのラリアットに自分から胸を出していく。この猪木のプロレスを過激なプロレスと言い馬場をプロレス内プロレスと言い差別化し猪木の相手の技を受けることを初めて言葉にして美学と定義したのが村松友視だった。受けの美学とは過激な猪木プロレスの代名詞になった。ファンはこれ以降上記の疑問への反論にこの言葉で対抗していく。
 
しかしそれに異論を挟んだのが前田日明だ。
前田日明村松のプロレス観を演劇プロレスと唾棄し当然猪木はそれを否定するものと思っていたが猪木は村松を容認した。前田は猪木に失望しこれがUWFのスタイルへ投影されていく。受けの美学の否定。
さらに先鋭化し総合へと深化していくことになる。
猪木ホーガンの舌出し失神事件により受けの美学はその頂点を極めた。
 
相手の技を受けることで観客に己の肉体の凄みを伝えたレスラーがもう1人いる。輪島だ。周知の通り天龍輪島の対戦は前田さえも認めたものだった。
横綱とはこんなにも頑丈なのかと。受けることがレスラーの凄みを引きだす。
それを引き出して見せた天龍が猪木に変わりマット界の中心になりプロレス内プロレスと揶揄された馬場プロレスを復権していく。

受けの美学とはプロレスと真剣勝負の矛盾を埋めてくれた言葉だった。
プロレスが世間と戦っていた時のファンの理論武装の大きな武器だった。受けの美学とはあくまでもファンが使うものだった。
それが、現役のプロレスラーが当然のように使うようになった。
ファンもプロレスとは相手の技を受ける競技と認めてその受けっぷりに
酔いしれたいと願う。
レスラー達も受けの美学を表現しようとしている。
受けることを否定したUWFと総合がレスラーもファンも支配したがそこから脱却できたのはどこかに受けの美学という言葉があったからではないだろうか?

受けの美学で猪木は人気を得て総合で受けてしまう猪木イズムのレスラーは客寄せパンダになり観客動員に一役買い、受けの美学を公言する現在の新日プロは猪木のレスラー像とはかけ離れてはいるが
人気を取り戻している。受けの美学を体現した猪木がそれを否定したスタイルの小川藤田を刺客にしたことでなおさら受けの美学が求められたという皮肉のオマケ付き。

猪木と村松はプロレスの市民権を得るためにタッグを組んだ。
昨夜、NHKで内藤が特集されプロフェッショナルとお墨付きをもらい受けの美学が堂々と流れた。
猪木と村松とあの頃のファンが望んだ市民権は昨夜得られたのだろうか。